2010年05月16日

スギに咲く花

fuzisugi.jpg
 最近、いろいろなところを回っていると、スギやヒノキにきれいな花が咲いているのを見かけます。「スギヒノキにきれいな花?。花粉を飛ばすやっかいなあの黄色い雄花のこと?。」と思われる方もあるかもしれませんが、さにあらず。
 スギヒノキそのものの花ではなく、彼等にまきついたフジの花です。写真(あまりいい写真ではありませんが)は、金山町でとったものですが、みなさんはこれをどう見ますか?。
 無論、きれいな花が咲いていいね。というのもある意味素直な見方ですね。でもでも、スギヒノキは本来木材を採るために植栽したものですから、フジのようなツルが巻き付いて幹の生長が阻害されることは好ましくありません。ですから、「ツル切り」という作業をしてツル植物を排除するのが林業の常識です。
 とすると、写真のような光景は「常識に反する」景色ですよね。もちろん、道路沿線の修景作業として、木材生産を犠牲にしてでも季節感を演出しようとする積極的な行為の結果であるなら、それはそれで素敵なことだと思います。が、きっとそうではないですよね。「ツル切りのような手間のかかることはできませ〜ん。」の結果ですよね、きっと。
 ここにも疲弊する山村の姿が現れていると見るのが妥当でしょう。シカなどの野生動物が身近に見られるようになっている実態といい、フジの花咲くスギヒノキといい、当事者でなければ、「かわいい〜」「きれ〜い」で済ますことができます。でも、それでいいのかなあ。と思う今日この頃です。
 ただーし。先にも述べたように、積極的に景観として容認し、そのためのコストを受益者(観光客などになるかなあ)に負担をしていただくような仕組みを考えてみるのも一つの手かも、とも思っています。
by やまんじ
posted by team森也。 at 16:03| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
 フジを見て考察を加えるのは既に普通の人ではありません。
 大部分の人は自分の価値観に忠実にやっかいものか花が綺麗だと思っているだけだと思います。
 
Posted by 風来坊 at 2010年05月18日 22:47
風来坊さんの言うとおり普通の人ではないことを歓びと感じてしまいそうで、ちょっと怖いです。
徒然写真帳に、民映研の「粥川風土記」の記述がありましたね。私も記憶の断片に残っています。フジヅルの利用が進めば、人工林のフジの花は見られなくなってしまうのでしょうか?。それとも、フジヅルを利用し続けるためには、適度に残しておくのだったでしょうか?。はたまた、人工林とフジヅル採取エリアは、まったく別物だったでしょうか?。良く覚えていませんが、なんとなく全部ゴッチャにして「予定調和だ〜!」と言ってしまえるととてもホッとするのですが・・・。
Posted by やまんじ at 2010年05月19日 21:09
 ちゃんと管理されている人工林にはフジは存在しないような気がします....
 フジの昔の利用は様々な資料で見かけます。
 どういった状態で確保したのだろう??とたった今疑問を持ちました。
 ひょっとして栽培していたりして?
 かつて、コクボ(サルナシ)コツラ(マタタビ)のツルの利用についての話も聞いたことがあります。
 今ではやっかいものツル性植物ですが昔は有用植物です。
 どうやって確保したのだろう?本当に思います。
 謎です....
Posted by 風来坊 at 2010年05月20日 00:36
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フジの花
Excerpt:                       ここ数日、私の住む郡上市八幡町の至る所でフジの花が目に付きます。  ツル性木本のフジは林縁部の自生する植物で渓流沿い等でよく目にすることができ紫色の花が目..
Weblog: 徒然写真帳
Tracked: 2010-05-18 22:36